第一次エターナル内戰とは、1992年8月26日~1993年4月25日まで続いたエターナル共和國における内戦である。 4度に渡るエターナル内戦の原点となったことや、エターナルにおけるピョコラート家の台頭、海外洲であったベルカイ洲(Belle-kai) (現在のヌーヴェル・エティネル洲)の本土との対立と發展の歴史における始まりなど、現代エターナル史におけるターニングポイントとなった。
| エターナル共和國内戰(第一次エターナル内戰) | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1992年8月26日~1993年4月25日 | |||||||||||
| 場所:完萬、ポドルー、ラノワールなど。 | |||||||||||
|
結果:左翼側の勝利。 しかしベル・カイ洲においては王黨派が勝利し、両政府は対立関係となった。 王黨は勢力はラノワール共和國として事実上獨立し、 本土側はエターナル聯邦共和國として事実上の分離状態となる。 |
|||||||||||
| 交戰勢力 |
エターナル共産黨 左翼聯合勢力
|
エターナル王黨派 エターナル共和黨 ベルカイ洲獨立派 民主聯合勢力 |
|||||||||
| 戰力 | 20萬人 | 18萬人 | |||||||||
| 拠点 | 完萬市 |
完萬市 ラノワール |
|||||||||
| 指導者 |
ヤジェルノ・ナルガフ アレクサンドル・ルイス |
ノロドマ=ピョコラート ヤジョ・サラーコフ ルイ・セボン スズキ・ヨシタカ シャラバセルゴフ ナギーバ・ルイス |
|||||||||
| 損害 |
2000人死亡 14800人重軽傷 |
7000人死亡 34000人重軽傷 |
|||||||||
| 支援國 |
|
|
|||||||||
概要
冷戦後、多くの国々が経験したように我が國においても多くの社會の混乱と民主化による動乱の数々が發生していた。 エターナルにおいてそれはロシアやウクライナのような新興財閥の台頭によって反映され、特にかつてのエターナルの王家であるピョコラート家のグループが社會を支配していた。 このような社會状況であるため、貧困者。特にかつての社會主義時代に思いをはせる左翼を中心に連合が結成され、それは武力闘争の始まりとなった。 結果的にこの戦闘によって左翼は國家を支配するものの、社會不安は解消されず、「4度の内戦と2度のクーデター」に代表されるようにエターナル本土は絶望の90年代を送ることとなった。 一方で、ピョコラート家が支配したベルカイ洲はヌーヴェル・エターナル洲と改名された他、当時から成長を続けていたコンピュータ半導體の生産を主産業とした結果により急成長を遂げ、現在まで続くエターナル經濟の心臓部となった。
戦闘
1992年8月26日。エターナル共産黨主導による通信局の破壊作戦(ヌエボ・エスタード作戰)が実行された。 これが内戦の始まりである。
共産黨率いる左翼勢力は「ボン・プープル」と呼ばれる独自の青年団を組織しており、また民主化の混乱によって、縮小・離職した兵士も雇い入れた。
そんな彼ら左翼勢力により8月30日には完萬市は左翼勢力に支配され、事実上のクーデターは成功していた。
しかし新興財閥を中心とした民主連合勢力によってすぐさま奪還を目指した反撃が始まり、完萬は93年3月の「赤い槍」作戦までの間東西に分裂した。(ややこしい事に東完萬は民主連動側、西完萬は左翼側が支配。)
完萬以外の都市では散発的な戦闘が見られたものの、ポドルーを除いては92年の11月ごろに左翼勢力が同地を支配した。
特に東部においては社會主義支持が根強かったこともあり、すぐさま左翼勢力の支配が及んだ。
一方でポーランド国境に近いポドルーにおいては社會主義の再拡大を警戒したポーランド・NATO連合により民主勢力に莫大な支援が行われ、一部地域では派兵も行われた。
その為ポドルーの戦闘はこの内戦において最大規模となり、終結の日までその激戦が続くこととなった。
海外洲のベルカイ洲の洲都ラノワールにおいても戦闘が發生したが、共産主義の拡大を警戒した日本や韓国・台湾が民主側を支援し、民主勢力が勝利した。
しかし方針を巡って、独立派と王黨派・民主派の間で分裂し戦闘が再開された。
戦闘においては王黨派勢力の「電撃交戦」戦術により電撃戦が行われ、王黨派側優先で戦局が進んだ。その結果として戦闘は僅か16日で終結し、中立國日本の意向もあって仙台条約によりベルカイ洲獨立派幹部・代表が日本に亡命したことによって解決した。
終結
93年4月6日左翼勢力により完萬宮殿が占拠され、民主側の拠点が陥落。 またベルカイ洲においては左翼勢力の軍勢が2月に攻勢をかけたが大失敗となったため(スノーボール作戦)講和の道が模索され、4月25日ポーランドのワルシャワにてワルシャワ条約が締結され、エターナルは左翼側のエターナル民主共和國と王黨・民主側のベルカイ共和國(ラノワール共和國)による連邦制となった。
その後(エターナル本土)
エターナル本土の支配権を獲得した左翼勢力であったが、汚職と幾多の経済政策の失態により國民の支持を喪失。 93年12月には軍事クーデターが發生し、94年3月から95年2月にかけて第二次エターナル内戰は始まった。
この時ラノワール共和國の首相であったノロドマ=ピョコラートは独自の軍を使ってネ・サンス宮殿を含む東完萬一帯の再占領に成功し、ラノワール共和國とエターナル民主共和國の戦力の差が明らかとなった。
95年2月に第二次エターナル内戦は終結となるが、東完萬の返還を巡って8月に第三次エターナル内戦が勃発する。
第三次エターナル内戦が始まるとこれまた戦力差によりラノワール勢力が勝利し、民主共和國政府は首都をモーセスへと移した。
その後諸勢力から支援を受け軍事的に強力になった民主共和國政府が98年6月に完萬へと侵攻し、第四次エターナル内戦が始まるが「先端知能作戰」により逆に民主共和側へと侵攻することに成功し、民主共和國側の拠点を次々と陥落。 99年3月4日に完萬条約が締結され、民主共和國は消滅。 國号はそのままにラノワール勢力が本土の実権を握り、ラノワールで行った諸改革を実施した。
以降、エターナル本土においても高度経済成長が訪れ莫大なスピードで経済回復と成長が進んでいった。 この出来事は本格的に首相であったノロドマ=ピョコラートの名声を高め、民主側勢力が多数を占めたエターナルでピョコラート王黨派は莫大な支持層と勢力の保持に成功した。一方でピョコラートは2002年4月に首相を辞職し、しばらく活動家として生活することになる。
現在の影響
この戦いではラノワールとエターナルの分離が發生し、その内ラノワールを率いたピョコラート勢力が現在のエターナル=ピョコラット王國につながっている等、未来において多大な影響を社會に残すことになった。
一方で、絶望や地獄の90年代と呼ばれた本土エターナル史の始まりとなった。
